人生の課題は死んでもついてくる
前回は、認知の歪みからではなく、正しく自分を観た時に、「自分がやっていない、行動していない」ことを自分がよく知っている
っていうことを書きました。
でも皆さん、きっと私よりも真面目に働いていて、たくさんの行動をしていると思います。
なので、行動自体が不足しているというよりも、
- 自分が満たされるため、人生の課題(目的達成)のために必要な行動をしていない
ことが原因かもしれません。
こんにちは!シリウス洋子です。
今日はもう少し前回のお話を進めてみます。
前回の記事を読んでいない方は、こちらからお読みくださいね。
1.一時的な快楽は楽しいけれど……。
ところであなたが「自分が満たされる」と聞いて想像するのはどんなことですか?
- 食欲
- 性欲
- 睡眠欲
この基本的な欲(三大欲求)については、年齢などによっても順位や強さが異なりますし、満たし切るということがあるのかないのかわからないほどに生きている限りはずっと存在するのだと思います。
でも、ある程度まで満たすことができれば、他の欲が出てきますよね。
欲と言えば煩悩です。ハイ、仏教の教えですね。
でも煩悩は、全てをなくすものでもないそうです。
だって、さっきの三大欲求もなくなってしまったら死んでしまいますし、
- もっと良くなりたい
- もっと知りたい
- もっと成長したい
というのも人間の自然な欲です。
この欲があるからこそ宇宙は拡大することができています。
悟り廃人(「覚醒した、悟った」と言って無気力に生きる人)では意味がないということですね。
さあ、欲は一体あったほうがいいのかないほうがいいのか、一体どっちなのでしょうか。
今私たちは、過剰なCMによって消費や欲を煽られている状態です。
たしかにこの欲を満たすことができたら、めっちゃ嬉しいですよね。
ドーパミン出まくりで、「生まれてきてよかった~!」って泣いて喜ぶかもしれません。
でも本当にそれで私たちは満足しているのでしょうか。
つまり、ほとんどの欲が
- 不足感から出てくる一時的な快楽(ブランド品、容姿に関するものなど)
- 現実逃避から出てくる楽しみ(酒、ギャンブル、スピリチュアルなど)
- 誰かを犠牲にしている幸せ(詐欺、支配や搾取、環境破壊などへのしわ寄せなど)
になっているかと思います。
(※これらが無用な欲からのみ必要とされていると言いたいわけではありませんよ)
たしかに楽しそう、楽そう、心地よさそうなのですが、これでは私たちが生まれてきた意義が果たせません(真我から観たら、全ては宇宙を拡大する意味あることです)。
「目的を達成したぞ!」と喜ぶのもつかの間、あっという間に飽きてしまったり、「何が違うぞ」と腑に落ちない漠然とした違和感を抱えてしまう人って多いですよね。
今生でそれに気づかなくてもあの世へ行くことはできますが、いざあの世に着いてから、「あれ?私は何のために生まれたんだっけ?」ってなったらもったいないことです。
2.魂の目的は
これもまた真我から観たら分離的な表現なのですが、私たちには個の魂があります。
その魂の目的を達成するためにこの地球に生まれて来ています。
ただ表面的に楽しむために生まれてきたわけではないのですね。
というとちょっとわかりにくい表現かと思います。
「楽しみ」の意味が違うのかな~と思うんです。
実は魂レベルでは、どんな苦しみさえも「楽しみ」です。
その苦しみを乗り越えて、目的を達成したところの楽しみは成仏、解脱につながります。
だから、私たちが生まれてからずっと「楽しい VS 苦しい」という二元的な見方で教わってきたものは、実はどっちも楽しみでしかないのです。
他にも、自分の目標に向かっている時にも、苦しみは楽しみに変わりますよね。
たしかに苦しくはあるのだけれど、それを「避けたい」とは思わない、果敢に向かって挑戦していく前向きな姿勢です。
「苦しみ」さえも「楽しみ」なんですね。
だから苦しみを避けて「楽しみ」のみを追求してしまうと、本当の魂の目的は達成できないかもしれません。
でも人間の一般的な意識では、「楽しいことをしよう!」というと、
- 努力をしない
- 楽をする
- 自分がワクワクしていればいい
そんな魂の目的達成とは反対になってしまっているものばかりを追い求めてしまいがちです。
どこかで聞いたことがあるフレーズですよね。
そう、最近のスピリチュアルや非二元がこうなってしまっています。
3.地球ならではの「楽しみ」
ハッキリと言ってしまえば、地球とは地獄の星です。
仏教では「苦の世界」と言いますよね。
本当に苦しいんです。
だからこそ私たちは生まれてきたんです。
そう、「だけど」生まれてきたのではなく、「だからこそ」この苦しい地球を選んで生まれてきたんですね。
だから苦しい思いをした人ほど地球を存分に味わったということです。
苦しんだ者勝ちということです(笑)
地球はその中の「お化け屋敷、恐怖の館」です。
怖くなければつまらないのです。
つまり地球は、苦しくて地獄であるほどに意味があるのです。
今苦しくて仕方がない人にとっては不謹慎な表現になってしまいましたが、この世界はただの悪夢なんです。だからいずれは目を覚ましてしまう時がやってきてしまいます。
それが「悟り」です。
この世界でも、永遠に眠り続けている人っていませんよね。
話を戻して、苦しい世界ということは、その苦しみの中から何かを得ることがあるから来たんですね。
個別の魂にとっては、いろいろな目的設定もされていると思います。
例えばトコトンまで学問を修めること、サッカー選手になることなど。
でもそれも、他の目的を達成するための手段かもしれません。
学問やサッカーを通して誰かを幸せにしたり、勇気づけたい、そんなことを聴いたことがないですか?
また、例えば「人からどんなに酷い目にあっても赦すこと」なんていう課題を持って生れて来た魂もいます。
私たち人間には、豊かな感情が装備されています。
「苦しい」というのは感情です。
だからその反対の「楽しい」を探したり創る楽しみがあります。
この感情体験というのは、宇宙規模ではとても貴重なんですね。
そして苦しいからこそ、誰かを幸せにすることができるんです。
それは自分であったり、他者であったり。
初めから幸せであったなら、誰のことも幸せにできないし、見つける楽しみもありません。
この苦しい地球ならではの「歩き方」です。
泥の中から花を咲かせる楽しみ。
そう、極楽浄土の象徴であるハスの花は、泥の中から出でて咲くのです。
どんなに苦しくても、どんな泥であっても、必ず次の人生ではハスの花を咲かせてみせる
最後は自分が極楽浄土へ到達すること、そして、それを通して人々をも幸せにすることを目的にして生まれてきています。
でも突然に極楽浄土に到達してしまったらつまらないのです。
そこまで到達するまでの道のりも楽しみ(苦しみ)つつ、少しずつ愛の度数(愛の経験値)を上げていくのです。
体験のみが愛の度数を上げていきます。
たとえ見聞であっても、深く共感したり、自分が体得したものであれば実を結ぶ愛になります。
苦しみを避けて通ってしまうと、お化け屋敷に入ったのにお化けに遭遇しないで出てしまうのと同じことなんですね。
ドラゴンクエストで言えば、苦しい思いをしたくない、傷つきたくないからずっとスライムだけと戦っていたり、そのエリアから出ない状態で、一向に経験値が稼げていません。
つまり、こういう状態では、いくら一時的に覚醒体験(一瞥体験)をしたとしても、(自分が納得できないので)ゲームクリアにはしないでしょうということなんです。
「悲しみの涙をたくさん流した人のほうがたくさんの人を幸せにすることができる」と言われているのだと思います。
「愛を知るために生まれてきた」なんていう言葉を聞いたことがある人も多いと思います。
愛とは何か。私たちはそれをずっと探し求めているのかもしれませんね。
4.まとめ(人生の課題は死んでもついてくる地獄)
再度確認しましょう。
涙や苦しみを避けて一時的な快楽のみを通って生きるのは、とても楽です。快適です。心地いいのです。
欲(エゴちゃん)の起きるままに任せればいいのだから。
- 知らねばならないことを知らず
- 考えなければならないことを考えず
- 向き合わなければならないことに向き合わず
こうした人生は、一見、本当に幸せそうです。笑顔が絶えないかもしれません。
でも、これでは私たち人間全体が設定した課題も、個人が設定した課題も果たせません。
今日の楽しみ、目の前の楽しみだけを追い求めても、人生の課題はずっと追いかけてきます。
死んでも追いかけてくるのです。
今生で逃げ切った方でも、また次の輪廻で同じ課題に自分から挑戦します。
そして難易度が上がっていくのです。
私はこの人生でも、何度も同じ失敗を繰り返し、難易度がどんどん上がっていきました。
同じ問題が繰り返し起きるのです。
自分で何も意図していなくても、勝手に起きるのです。
最後は命まで危険になったほどです。
中には、払う(祓う)べき時に払わず、支払い(体験クリア)を滞納(先延ばし)し続けてしまい、耐えられなくなってしまって、本当に命を落としてしまう人もたくさんいます。
自分からは絶対に逃げられません。
どんな正当な理由があったとしても、本当の自分(魂レベル、真我レベル)では、それを乗り越えることを目的としていますから、自分で自分の苦しみを増やしていきます。
先祖代々、輪廻転生しながらこうして濃縮された苦しみは、「目覚め」という目的達成に必要な恩恵をもたらすこともあります(陰極まって陽となす。ショック療法)。
覚醒体験をしたのならば、それを悟りにまで高まらせ、他(他=自分)のために使わないのは宝の持ち腐れどころか、自分自身を愚弄する行為です。
そこまで含めて「人生の課題」なのかなと思います。
その先にある「解脱」の時を共に楽しんでいきたいですね!
今日も最後までお読みくださり本当にありがとうございました。
どうか、傷つくことを恐れないで……。
あなたの真の姿は、どんな刃や爆弾を使われても絶対に傷などつかない、完璧に輝く宝石そのものなのだから。
いつでも皆さまの充実した地球の旅と目的達成をお祈りしています。
またね!