あなたの辛さ、苦しみの原因②「スピと非二元の落とし穴」
こんにちは!シリウス洋子です。
スピリチュアル、非二元を卒業して「今ここ」に戻ってきました。
前回に引き続き、もう少しエゴちゃんのお話をしましょう。
エゴちゃんは、いつも自分が正しいという実証実験を繰り返しているというお話をしました。
「苦しい」というエゴちゃんは、「苦しい」を証明するために、「苦しい体験」を全力で作り出します。
自分だけでなく、周りの人にも参加してもらい、ありとあらゆる方法で「苦しい」状況を作ってくれます。
RAS(取捨選択)によって「コンフォートゾーン(心地いい地帯)」を作り、そこからはみ出さないようにあなたを守ってくれるシステムです。
赤ちゃんのベビーベッドのようにあなたが飛び出さないように守ってくれているのですが、外側からも、なかなか手を伸ばすことができません(アドバイスを聞き入れられない、聞いてもそちらが良いと思えない、思っても結局元に戻ってしまう。DVパートナーの元へ戻ってしまう人の例です)
また、自分が赤ちゃんではなかったと気づいてベビーベッドの外に出たいと思っても、今まで守ってくれていたエゴちゃんは、それをなかなか許してくれないんですね。
そこで「腹をくくる」「強い決断をする」という何か殻を破ることが必要なんですね。
物騒な言い方なのですが、私のようにエゴちゃんが強力だと、本当に命を落とす寸前までいかないと気づかないことも多いのですね。
中には、そのまま本当に亡くなってしまう方もたくさんいます。
※そういう方はきっと、次の転生で同じ課題を再設定して、また戻ってきてリベンジするんでしょうね。
あなたには、そんなことにならないでいてほしい。
このブログには、そんな願いも込められています。
さて、今日のお話を進めていきますね。
そういうわけで、エゴちゃんは、慣れ親しんだベビーベッドの中に閉じこもるようにしたいわけですね。
苦しい人にとっても、いろいろと理由をつけて、あなたが苦しい地帯に戻ってくるような選択をするように仕向けています。
その選択をやめるように言ってくるエゴちゃんもいます。
見極めがとても難しそうですよね。
そんな時、スピリチュアルを知った人は、
①ワクワク・ポジティブ思考
②好きなこと、喜ぶことだけする
③全ては完璧
④そのままでいい
⑤ネガティブにフォーカスしない
⑥ジャッジメントをしない
などというメッセージを聞くでしょう。
実はこれらの意味も、エゴを見破った視座(悟り)でないと、本当の意味にはなっていません。
でも、まだ覚醒体験もしていない方がこれらの言葉を聞くと、鵜呑みにしてしまうでしょう。
実際には、覚醒したという方でも、この意味をエゴちゃん的にとらえて発信している場合が多いのです。
ちゃんと覚醒すると、こういう言葉をエゴちゃんが解釈するととても危険だということを知っているので、むやみに発信しません。
※名著『黎明』の著者である葦原瑞穂さんもそのようにおっしゃっています。
この本自体がエゴちゃんで読まれないように、冒頭で注意喚起をしてくれています。
今、私も同じ危惧を抱いています。
こうした私の「それは違いますよ」という指摘を「否定」だととらえ、不調和だという方もいます。
でもあなたが自分の大切な人に毒物や石を食べさせないのと同じように、「区別」は相手にとっての配慮、愛でもあるのです。
ご本人だって、ビニールを食べたり、トイレ以外の場所に用を足すことはしないでしょう。ちゃんと「区別」をしているのですよね。
例えば崖から転落しそうなルートを進む人がいた時、黙って見過ごしたらその人は死んでしまうでしょう。
そんな時に「違いますよ」と言えないほうが不調和なんですね。
物質としての肉体を持ち、物質界で生きている以上、ちゃんと「区別」は必要なんですね。
それでも全てを放置したほうがいいと考えるのは脳のエラー、思考停止という人間として機能不全に陥っている状態です。
でも、先ほどの①~⑥は、覚醒体験をした人であっても発信してしまっています。
私も「非二元」の段階だった時には、そういうことも言っていました。
その頃は、「非二元」を悟りだと思っていましたから(本当の非二元は悟りなのですが、最近、違う意味でひとり歩きしてしまいました)。
そして当時に誤解した人たちが今、同じようなことを発信してたくさんの方が読んでしまっています。
自分で感じることをせずに誰かの言葉を鵜呑みにしているのは「信念バイアス」なのですね。
覚醒者(悟った人)は、そういういかなるものも信じてはいません。
内なる叡智によって意識が拡大し、俯瞰する視座を持っています。
目先だけでなく、もう少し先まで見通す力、もっともっと先まで見通す力が必要なんですね。
ここまで読んだあなたも、もしかしたらこの記事を、「批判」としてスピリチュアルに反していると思ったかもしれません。
批判するとどうですか?
全く誰も諌(いさ)める人がいないとしたら、今の乱れに乱れた世の中はどうなってしまうでしょうか。
「批判してはいけない」
を手放しませんか?
私は、そういうものにも囚われず、必要な情報は積極的に発信していきます。
なかなかお話が進みませんが、続きは次回以降にしますね。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。
あなたと全ての命が安寧でありますように、いつも祈っています♡
またね!